![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=298x1024:format=jpg/path/sb57ab4c7d43a9502/image/i43ef8686b75e4a4b/version/1646985752/image.jpg)
東日本大震災から6年後のお話
昨秋贈られた『アンネの薔薇』がこの冬咲きました…
東電福島第一原発事故で帰還困難区域となった福島県双葉町
避難者を受け入れた加須市小学校のテレビ電話…互いに想う故郷への対話
加須・種足小と双葉南北小のテレビ電話
双葉町は世界の愛好家が注目する薔薇園の存在 避難で荒れ放題となった薔薇園に花が戻る日を願い両校は苗木を贈りあう
薔薇が絆となり支えあう様子…
双葉町が花の町だということ 今日新たに振り返り想いを寄せています
6年経過した頃の避難での生活で 児童の皆さんが『双葉ばら園』の彩りを忘れず
夢を抱いていた風景とは…
バラ園は1968年開かれ約6万平方メートルに約50の野生種を含む約650種、7千株があり
バラの国際会議で来日した栽培家が訪れる予定日の3か月前
東日本大震災が起きました 園主の岡田さんを避難先の茨城県から招いてお話を伺う記事には
~幸せな笑顔 埼玉から再び~と題した内容でした
このご時世ウクライナへの戦争が起きた2022 2月24日
花を通して何か深く考えさせられます
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=576x1024:format=jpg/path/sb57ab4c7d43a9502/image/i4759df276b2b4af0/version/1646985752/image.jpg)
ウクライナの皆様からの当時の支援の様子
この後も細々した支援が継続されているのだと感じます
毎日早く停戦 終結と想う
戦争は悲惨 日本も大変な事になりました
![蝶とゾウの関係 そして わかちあう幸せとは](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=576x1024:format=jpg/path/sb57ab4c7d43a9502/image/ied28a88b989fad50/version/1646985752/image.jpg)
希望の桜満開
東日本大震災で被災された
宮城県石巻市雄勝町
一足早く桜が咲き 地元 全国から集まった屋200人が白いしっくい壁に描いた大きな木にピンク色の手形を押し
満開の桜の木を咲かせていました
この壁は荒浜海水浴場に作られた縦4メートル横40メートルの雄勝希望のキャンバス
今検索して観ましても非常に美しく立派な迫力を感じます
また様々な経緯があったのだと新たに知りました
ウクライナの方々の中で攻撃により腕が…
子供たちの犠牲が心に深く影響を与えてしまう
大人であっても深く傷ついているし
動物も震えています
掲載したゾウの絵は 砂漠のばらがモチーフです
ゾウの鼻先には蝶のケーキがあって
平和への 秘密の願いを叶えてくれたら
皆でわけあたえるしあわせ…
ケーキは幸せを分け与えるとも聞いたことがあったので
皆で祝い喜べる暖かい未来を想い生命の邂逅を描きました
蝶は話すことが出来ませんから秘密を必ず守ってくれるという願い…
一生懸命ウクライナ国旗を蝶にしてたくさんの願い祈り想い込めて
願いが叶う事 叶えてあげられるのは何だろうか
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=298x1024:format=jpg/path/sb57ab4c7d43a9502/image/i8be393d3e7225913/version/1646985752/image.jpg)
国の花がひまわりなのは
とても親しいはずの繋がりだから?
sun flower
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=596x10000:format=jpg/path/sb57ab4c7d43a9502/image/i1eff952a87a520f9/version/1646984967/image.jpg)
菜の花をモチーフにした衣服の人物が後方に居ます
かまどの女神 とても温和な神
かまどの火を守る神から派生し取り巻く家族を守る神
東日本大震災 菜の花 故郷のイメージからモチーフに
ゆりはこの作品では
障がいを持つ人々の花 それぞれに花が咲きますように
障がいとは何なのでしょうか
花は誰の為だけのものでもなく
花として生きていて…寄り添っているのだと感じ
誰かの作為で生かされるものでもないのに
ついつい人に重ねてしまいます このご時世
普段の生活から戦時下に無理矢理させられても
花を贈る温かさ どんな想いが込められていたのだろう
無事に帰ったら逆に贈りたいのではないかと察する
とても残酷で悲しい
皆さんは どんな想いがありますか